自分を晒す?

http://d.hatena.ne.jp/ozric/20050514
吉田アミさんトコで「酷評するヤツに守ってもらいたいルール」ていうトピックへのリンクがあったので、ちょっと読んでみた。
要約するとこんな感じかな。

「1億総評論家状態の中で、一部罵詈雑言を並べるヤツがいる。クリエーターの中には繊細な人がいて、ちょっとした非難で凹んでその後の創作活動ができなくなってしまう。そういう繊細な人の可能性を消さないような措置を取って欲しい。
 措置として、こんなのを提案する。
 ・批判者は自分の嗜好を掲載して自身のポジションを明確にし、意見のベクトルを明確にする」

1億総評論家の一人、かつ一部罵詈雑言を並べるヤツ、でもある僕にとっては、非常に重要であり永遠のテーマだと思うので、このトピックは興味深く読ませてもらった。以下、気になったことの箇条書き。
 ・「繊細なクリエーター」を救済することは、現実的に不可能だ
 ・この問題はクリエーターに限らず、あらゆる「行動者」にあてはまる話である
 ・総論として「救済する」ことに意味があるか
 ・「救済する、される」ことが「誰」にとって「幸せ」か? また「幸せ」の定義は?



以前、プレジデント誌の記事でこんなのがあった。内容は、優秀な営業職の方の「顧客観」についてなんだが、その営業曰く「喜んでくれたお客さんも、満足いかず怒ったお客さんも、自分に対して関心を持っている点では変わらない。ただ、お客さんから自分への関心が、プラス方向に向いているか、マイナス方向を向いているかの違いがあるだけだ。だから、怒ったお客さんにはサービスの方向を変えることで容易に喜ばすことが出来、今後の付き合いにも持ち込める。 ただ、どうやっても取り込めない人がいる。それは、自分に関心の無い人だ。関心がゼロなので、プラスにもマイナスにも持っていきようがない。」のだとか。
僕は、吉田アミさんの文章を読んでいて、プレジデントの記事とすごく共鳴していることに驚いた。多分、プレジデントの「関心」を「愛」に置き換えれば、吉田さんの言わんとする所となるはず(僕の読解力が異常でなければ!)。吉田さん、実は営業向いてるかもよ。


脱線したけど、今日び2ちゃんねるなど憎悪の屋敷では無意味な誹謗中傷が多い。件のトピックは、そうした例に対する嫌悪ってことだと思う、結局は。そして、それは現時点において通用する、限られた人にのみ通用する話でもあり、頭の切れる人からすれば「思いつき」にも見られかねない(実際、そうレスしている人もいた)話なんだが、テーマが大仰で旬なものだったために、人が集まり話が膨らみすぎました、というのが実際なのではないだろうか。そうか、オレは釣られたのかぁー、暇だったからなぁ。とりあえずプロフィール欄に嗜好を書こうかな。先入観を持たれるだけのような気がするんだけど…。


ま、とにかく、何かの間違いでこれを見て、しかも凹んでしまった人のために勝手なこと書きます。
 ・何を言われ、どんな気分になっても、自分の道を進みたければひたすら前に進め。
  他に自己実現の方法はない。前進こそ唯一の王道である。
 ・自分に寄ってきたヤツは、多少なりとも自分に興味を持っている。それを忘れるな。

ま、頑張って。