ROVO「MON」

ROVOはたいていのライブに行っているしプロダクトはほぼ全て買い集めているせいもあって、先週発売の新譜が「約2年ぶりのフルアルバム」という響きは実にしっくり来ないものだ。ちなみに今週末(04/11/19)のライブもしっかり行く。この日は、synth.中西脱退前の7人でやるラストライブになるらしい。別にそれがライブ参戦動機というわけではないが、正直中西脱退は悲しい。ROVOの最大の特徴は、躍動感の塊のようなツインドラムに原田の極太ベースが体当たりかますことで生まれる北斗百裂拳のようなグルーヴだと思う。これに対して、中西のシンセベースが絡んで「ツインドラム v.s. ツインベース」で思わずこちらが引いてしまうぐらいの千手観音ぶりを発揮してくれたら…、なんて思っていたんだが。これは益子についても言えると思うが、やはりあのバンドは演奏力が相当ないと厳しい。特にツインドラムは異常に巧いので、ちょっとできる程度(失礼!!)ではかなり目立ってしまう。うまく自分の居場所を見出すことができなかったのだろうか。その辺は年の功なのか、山本がズルくて、あまり前面に出ないことでボロを出さず美味しい所をひとカジリしていく。彼のズルさはピラミッドで特に際立っていると思う。
本作は、SAI以降のROVOロードマップに外れぬものであると感じた。僕は、SAIから今作までを「切り刻むためのハサミからツインドラムの2人を開放する」一連の作業のように感じている。これは「独特のアイデアをテクノロジーで具現化する」ことから「独特のアイデアを演奏で具現化する」ことへ変化するプロセスとも思っている。「別に今までだって演奏してんじゃん」と思う方もいるだろうが、それは音楽家だから演奏するのは当然で。「写実主義」の人達は、みんな筆を捨てて写真に凝っていたわけではない。あくまで、音楽を表現する際に全体から見た個性の構成要素は何か、ということが主眼だ。
本作で特に気になったのは、今までのディスコグラフィ内最大級に引用されまくっている山本のギター、そして比較的登場回数の増えた中西のシンセベース。ビリンバウは確かに素晴らしいが、ツインドラムの連中ならやりかねない気がしてイマイチ驚けない。元々芳垣はポケットトランペットを多用していて、それをまだ温存しながらも現在の驚愕演奏を実現しているわけで、こんな奴にいちいち驚いていては気がもたない。岡部も同様。ディジェリドゥなども使い始めた原田が気になったが、本作では特に変化なし。山本、中西の前面進出と入れ替わる形で勝井・益子はかなり大人しくなった模様。
山本ギターに関しては、よく耳を澄ませば旧作でも美しく存在している。ただ、前述の観点で、僕としてはどうも山本がチョロ出ししている感を拭い去れない。流麗なる山本ギターを楽しみたい方はSAIをどうぞ。冗談じゃなく美しい。彼の外見を180°ひっくり返したような美しさ。羅針盤やっているのも実に納得(個人的に、羅針盤はとてつもなく美しい音楽で非常に高く評価している)。
さて、僕はSAI以降のROVOフルアルバム作品についてこんな印象を持っている。

SAI

SAI

 ・SAI:梅雨時、雨、湿気、蒸し暑さ、水芭蕉(たぶんジャケの影響)
FLAGE

FLAGE

 ・FLAGE:降雪期直前くらいの真冬の夜空、夕方から丑三つ時、
      寒気、白い息、冬の星座、厚い氷、オーロラ(たぶんジャケの影響)
MON

MON

 ・MON:秋の夜長、寂しさ、麦、秋冬衣装のアースカラー
     11月の暖冬、木枯らしに流れるまだ瑞々しさの残る落ち葉
こうやって見ると、なんか発売時期に影響されているような…。いや、ROVOの音楽は特に中性的で、従来の音楽にあるような特徴は全てニュートラルにしているから、どうしてもこういう外部要因に影響されやすい…ことはないかなぁ。個人的には、IMAGO以前は季節感とかあんまりないように思うんだけど。なんせこの2つは「切り刻まれ」アルバムだから、非常に有機性を見出しにくいように思うんだが。冷たいイメージで、敢えて季節を挙げろと言われたら「冬。」としか言いようがない。冷たいイコール冬。